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人文系の学生にありがちな論理的ミステイク

 一年に一度は人文系のゼミ型講義に参加しているどこぞの自然科学の研究室学生.ディスカッションをしていて覚える違和感を紹介してみようと思う.

目次

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話が発散しがち

 問題の原因となる要素をいたずらに増やしがちなことが多い.そして大抵最後には「難しいですよね」というのがお決まりとなる.とりあえず言ってみた,けど何がどう問題と関係しているのかは知らないけど,というのが非常に多い.

問題提起の方向が具体的

 話が発散する際は大抵問題提起の方向がおかしい.当たり前なことだが,細分化すれば問題数は増える.差別のことを考える時にジェンダーも部落も人種も考え,最後には人それぞれなどと言いだせば,問題の種類はいくらでも増やせる.問題提起は抽象の方向,つまり本質的なことを問題として挙げるべきなのに,具体的事例ばかりで問題提起されても結局一般的な解決策など生まれようはずがない.一般的な解決策が見えづらいというのは知っている.けど何かしらの解決策を提示しなければ,文句を言うだけの5chラーと同じ.

もはや問題が解決されないことを望む

 自分達のアイデンティティを保護する為に,問題が解決されては困るという姿勢すらある.ある学生は問題提起をすることに意義を感じているようだが,それだと当然解決されては困るのだろう.そして解決したと万人が思っても,無意識な差別をしているとかいう表現をもってして,問題があるのに問題に気付いてないよね,などと宣う.彼らは問題が解決されると困る人達なのでしょうかね.

大抵議論は傷のなめ合い

 議論をするのはお互いの研究を励ますため.本書が最終的に言いたいことは勇気をくれること.という意味不明な感情論に話を持っていき,最終的には議論で相手を傷つけるのを怖れて,傷のなめ合い行為が始まる.議論で精神にストレスが生まれることを善としない人達.どうしてそうなるんだ.

ロジックアレルギー

 結構困ってしまう.ロジック完全崩壊状態でも,突っ込んでくるゾンビモード.彼らがいうのは”世の中は論理で動いているわけじゃないYO”.そして感情を大切にしようという.別に大切にしていないわけじゃなく,一般的な解決策を探る学術をしたいから,わざわざ論理的な議論をするんだけど.学術しないなら,居酒屋で喋ってくれよ.論理でものを喋ると,机上の空論でしかないという非難を頂戴する.思い出すのは夏目漱石”こころ”の「よく男の方は議論だけなさるのね.よくも空の盃でよくもああ飽きずに献酬ができると思いますわ」ですね.

数式アレルギー

 高校生で数学に挫折して以降,数字は人を誤魔化す為のツールと半自動で見なしてしまう人達のこと.統計アレルギーにも発展しやすい.結構いる.数字じゃないよ,数学だよ,といっても彼らには通じない.見たことのない文字が出た瞬間に,憤りを見せてくる.数式を見た瞬間にそのプレゼンを聞かなくなる.こういうことは頻繫に起こる.かといって論理的に喋っても,ロジックアレルギーを引き起こす人が多い.結局何も考えてないという意思表示だと思うしかない哀しみ.

定義されない言葉

 科学は定義しがちと揶揄されがち.けど定義されない言葉をふわふわ使う人達の方がよっぽど議論してないと思う.そしてそこを真面目に考えたこともなさそうな雰囲気すらある.感情とか社会とか,よくも適当に使いなさるのねと言われたらどうするんでしょう.感情と情動,認知と知覚,意味と意義,使い分けている人がどれだけいるのか.定義してドヤァしたいわけじゃなく,意味をクリアにしたいだけなんですけどね.

 

まとめ

 あくまで一部の話です.そして言葉にそこまで重みがないのが世の中のマジョリティだと思います.重みというのは一つ一つの言葉に対して意味をどれだけ付与されているかということです.自然科学系の研究室にいくと,そこには本質派な議論を行う先生が多いと思います.扱う内容もそれに向いている内容が多いです.従って言葉の重みも大きくなる傾向があります.その点が大きなメリットなのかな.本日は以上です,お疲れ様でした.